もともと私はドラマや映画をあまり見なかった

 

 私の記憶では私の地元にレンタルビデオ屋が一軒だけあったが、そのビデオ屋で私はAVを借りた記憶と言うのがないのである。

 私は初めてAVを「購入」したのは、その高校を卒業して勤めることになった神奈川でであった。つまりその以前は借りるか、もらうかして見たことがあったが、自分でレンタル屋に行ったことも、また販売店でそれ買った記憶も、高校時代にはない。

 であれば、その類のものを見た、借りたとしたら、その高校の時に18禁でない物を借りて観たかのどちらかなのである。

 そして、高校を卒業すると、アダルトビデオと言うのは借りることができる。AVコーナーにも入ることができる。であれば、高校をもし卒業しているのであれば、わざわざAVに準じたようなビデオをその店で探す必要もなく、その店にあるAVコーナーに行ってそれらのビデオを見て、それを選んだりするはずなのだ。

 ということは、私の記憶にあるかつて私の兄が、AVに準じたようなワイセツなビデオをよく家に借りにきていたが、それは高校を卒業した後でなく、前のことなのではないかと言うことだ。

 

 

もともと私は映画をあまり見ず 興味がなかった

 

 もともと私の地元は田舎で、そのビデオをレンタルできるところがなかったが、中学を卒業する辺りだったかにその本屋でビデオのレンタルが開業された。

 もともと私自体は映画を見るような質でなく、もし私がそのビデオ屋へ行くとしたら目的は一つしかなかった。それは本、漫画を買う以外としては、そのアダルト系の18歳以下でも借りれるワイセツなビデオばかりが置いてある区画があった。

 そしてそういうビデオを借りる目的で私は高校2年か3年くらいの時にそのビデオまで行った記憶があるのだ。

 そして当時、高校3年生の時に私はよく、中学時代の以前の知り合いとよく外に出歩いたりたりしていたが、そのビデオ屋では18禁のビデオでも暗黙で貸したりしていたらしいのだ。

 そしてそれが高校の時であれば、おそらく当時、私は初めその双子の兄が読んでいた「天地を喰らう」や自分で読んでいた「てんで小悪キューピット」などの影響で、ワイセツな世界に入り込んでいった可能性がある。

 つまりその後、兄がそういうビデオばかりを家に借りてきたのだ。そして私もそういう質のビデオを見たりしていた。

 そしてその兄が借りていたビデオと言うのが、レイプ系のビデオだったのだ。しかも、高校生が中学生が、どこかの人妻か母親みたいなものとセックスすると言う、その近親相姦じみたものを借りているのである。

 そしてその兄が買って読んでいた漫画、「天地を喰らう」という漫画も、人間が神々の女と性行為をするという、そのおかしなその独特の近親相姦みたいな世界を描いている漫画なのだ。

 

 

高校時代の思春期に誤った性方向へ導かれている

 

 高校時代と言うのは確かに、思春期でもあり、特に高校へ入ると、先輩の女性たちもそうだが、それまでなかったような大人の女性と言うのが周囲にまじかになってくる。つまり年上に惹かれやすい時期ではあるのだろうが、この時期に私が見ていたのが、そういう近親相姦じみた内容のワイセツなものであったということだ。

 そして私は以前、高校の時から年上や社会人的な女性によくアプローチされた。又その兄などが借りてきたものの影響で、私はその年上派になっている傾向があったのだ。だがこれが母親、つまり他人の母親に惹かれてしまうとかなると、その異常である。

 当時私は18歳ほどだが、それでも20代くらいであれば良いのだろうが、それが40歳とか50歳とかの女性を性の対象にすると完全に異常と言える。当時私にあったのは、あったとしてもせいぜい20代、30歳前だろうと思われる。

 

 

私自体実はAVに満足しなかった

 

 高校時代そのようにいくつかのワイセツなものに影響を受けが、高校を卒業した後に神奈川で自分でAVを買ったことがあった。その時から確かに私は、熟女思考というか、あまりにも熟女すぎるのはあれだが、どっちかと言えば年上になっていた。

 そしてその県外から帰ってきた時に、今度はその地元にAV販売店、その有名な「激安王」が、その近くの街にできているということをその今度は中学時代のその知り合いから聞いたのである。そして一緒に行ってから、そのビデオ屋に車で何度か行ったりしていた。

 しかし、そういう18歳以上の指定されるビデオの多くは、私はあまり見たり買ったりしなかった。つまりその当時である。

 私がアダルトビデオばかりを買いだしたのは、むしろ世界真光文明教団の大学を出て、そのコミッションのセールス等をしていた時からである。其の当時の人間関係から発生していると言える。

 しかし、其の18歳、19歳くらいの頃は、アダルトビデオ自体見ても、あまり面白いとは思わなった。というのは出演する女優にしても、あまり良いようには思えなかったからだ。

 

AV女優は所詮AV女優でしかない

 

 当時私はアダルトビデオ等を何本か見たりしていたが、その18禁のアダルトビデオに出ているような女優と言うものをまったく好かなかったのだ。それはそういうものに出ている女自体が、淫乱であり、淫らであり、性格もねじ曲がっているような、ちゃらんぽらんの馬鹿な女が出ているというようなイメージしかなかったからだ。

 私が好む女とはどこまでも清純であり真面目でありOLタイプであり、いくらビデオの中でOLの格好をしたって、先生の顔をしたって、彼等はどこまでも本当、本物のそういう存在であるというふいんきまでを真似することはできない。やはり所詮は淫乱女の不純な女でしかない。私が飲み屋やバーにいるようなちゃらんぽらんな女に一切興味がないのはそのためだ。

 そして18歳以上のAVに出ているようなものとは、大概がその手の女にすぎないのだ。

 

 

アダルトビデオは大したものではない

 

 アダルトビデオは大したものでもない。当時私はそう思った。又その当時のAV自体が、あまり良いものがなく、つまらないと思えたのだ。

 そうこうしている時に、今度は私の双子の兄が、そのかつてのカメレオンの登場人物の女性キャラをレイプしている絵を自分で描いているのである。私はそれを目撃した。そしてその後、成人式を迎えている。つまり平成9年である。

 

 

平成8年当時 かつてのライブの発案者と再会する

 

 そして私が県外の企業から戻ってきた時に、その人はまだ大学生で大阪にいたらしいが、私の自宅にその中学時代の仲間たちとやってきた。

 平成8年と言う年は、おそらく私がその県外から戻ってきた時に、しばらく旧家にいてから、以前の知り合いと再び熱帯魚をやり出した時期だった。初めその「ディスカス」と言うのをやり出したのだ。

 私がその地元に戻ってきたのが平成7年10月、11月頃だが、その年が明けてから、私はその半年後あたりから、その地元の適当な企業、町工場に三カ月ほどいたような記憶があるのだ。つまり平成8年中頃、であるから5月くらいに再び就職をし、8月頃まで務めた、そしてその会社をやめてから、今度は家に引きこもって、其の熱帯魚をやっていた時期辺りに、其の大阪の大学にいるその昔の知人と数日そのパチンコなどをして遊んでいる。であるからそれは成人式の前のはずだ。

 平成8年8月以降と言うと、その長渕の「家族」などがリリースされているが、当時その知人と私はそういう長渕の会話と言うものをあまりしなかった。むしろしていたのは、私の職業のことで、其の私は何をするか?と言う部分でむしろ仕事もないし、その代行などもやっていたがバイトで長く続かず、その熱帯魚のブリーダーにでもなろうか、と言う話をしていたのであった。

 そしてその中学時代にその長渕のライブをしたという知人であるが、この身内がその役人になっているという。つまり町役場の仕事をしているのだ。私はそういうことをその知人から聞いていた。そして当時からその知人は少し金使いなどがあらく、おかしくなっていたような感じはした。

 しかしその当時を振り返ると、県外から帰宅し、親からも仕事のことで責められ、精神的にもかなり私は参っていて、そういう時にその昔の知人が大阪から、大学に通っているが顔を見せているのだ。その時、特に私はその知人とは何もなく、その車でパチンコ屋まで行った、と言う記憶しか残されていない。

 

平成8年頃 私は長渕の「家族」のアルバムなどを聞いたりしていた

 

 長渕剛は、私が高校へ入学した平成4年4月以降、今度はドラマ「RAN」に出演したが、このドラマ自体、私はあまり良いとは感じなかった。またこの主題歌もあまり良い歌のような感じはしなかった。つまり以前の「しゃぼん玉」に比べると、その長渕の以前のふいんきがまず少し異なっていたのだ。

 この歌にしても私はたいした歌に思わなかったが、当時私の父親が、以前から長渕をペテン師の如く批評していたが、その主題歌が良いなぁ、良い歌だなぁ、等と私の横で言っているのである。だが私自体は以前の歌の方が良いと思えた。つまりその以前の歌を私の父親は批判しているが、そのあべこべになっているのだ。

 実は私がそのまま長渕の歌を聴いていることには一つの危機が潜伏した。それは私の双子の兄も、高校あたりからその長渕のCDを買いだして聴いているということだった。

 すると、私の顔はどんどんその魅力のない兄の顔と同じ顔に変形してしまうのである。しかし当時は私はそんなことを魔族が意図して行っているとは知らず、その長渕の「家族」まで私はその長渕のアルバムを買って聴いてた。

 しかし、その高校時代の「RAN」の時から、長渕の評価、つまり私の周囲にいる存在の評価は非常に落ちていた。つまり大麻をやる以前からすでに長渕に対するイメージは落ちていたのだ。

 とくに「RAN」が発表された時、その歌の評価は非常にずさんだった。当時私の高校でも「RAN」を見ている生徒はいたが、何だあのくだらない歌、と言うようなものが周囲には多くいた。

 さらにどういうわけか、平成9年に長渕は「英二ふたたび」や「ボディガード」とドラマに出ているが、その私の周囲の存在は、長渕を敬遠するようなもの多くいたのである。例えば、私は平成9年以降、派遣会社にバイトとして勤めた時に友人、同年の知人とよく飲んだり遊んだが、やはり長渕を嫌っているタイプの人間だった。長渕を嫌う人間と言うのは案外多くいるのだが、私の周囲はそういう人間が接近してくることが多くあったのだ。

 

長渕をみぎると父親は「五輪真弓」のベストアルバムを家に持ってくる

 

 高校時代の「RAN」を私はあまり良いと思っていないことを知るや否や、父親は今度はその「五輪真弓」の歌が、一番良いといってそのベストアルバムを家に持ってきた。

 そして、当時何か、中島みゆきほどの暗い歌というか、誰それが、こいつはその中島みゆきよりも暗い歌を歌う最高の奴だ、みたいなことを言っていたのである。

 いずれにしてもそういうことが高校の時にあったが、以前私は長渕の歌を聞いていた。だが、その長渕の「家族」というアルバムが平成8年1月にリリースされており、このアルバムを私はどこかで買って聴いた記憶はあるのである。

 しかし私の記憶では、その県外の神奈川にいた時は、その前作の「キャプテンオブザシップ」と言うのを聞いたりしていて、そのアルバムに収録される「ガンジス」を長渕が歌番組で歌っていたのも見ている。そしてそれは「高校」の時のはずである。

 キャプテンオブザシップというアルバムが出たのが平成5年だが、この中の「RAN」、又そのドラマが9月、10月に出ている。私は平成4年4月から平成5年3月までが高校一年の時だから、厳密には、「RAN」は、私が高校2年の時に出ている曲であり、ドラマであった。

 そしてこの歌が出た時に私はかつての中学時代の同級生の一人とその歌の歌詞について語っていて、夜に中学時代のその私を好きだと言っていた女の家辺りまで行ったのである。

 そしてその後、長渕が出した家族と言うアルバムは、これは其のしばらくした3年後あたりの、平成8年1月に出ているため、これは私が神奈川から帰ってきた後に出ているアルバムだから、キャプテンオブザシップのアルバムと言うのは私は地元のどこかで買った記憶があるのだが、この「家族」がはたしてどこかで買った記憶があるか、というとどうも思い出せないのである。

 私の高校時代、その高校からその市の駅まで行く間にCD屋さんがどこにでもあって当時私はその長渕のアルバムをそのCD屋で買ったりしていたが、家族をはたしてどこで買ったか。

 記憶にはないがいずれにしてもどこかで買っているのだ。そして当時、私はその長渕の歌ばかりを聞いていたら、顔が、自分の双子の兄に似ていった。

 そして、私が長渕をあまり聞かなくなったのは、その家族以降のアルバムを購入していないし、平成8年頃と言うのは私は長渕のドラマや演技、映画にもあまり興味がなく、当時その北のたけしのその映画を見るように変わっていたのだ。だがある時に、その知人の誰かが、長渕の「ガンジス」がものすごい良い歌だと言ったのだ。そして同時にもう一人が、いやただ吠えているだけのような歌だと車の中で言った。

 そしてそれが私の記憶では、その私が県外から戻ってきた後の話、おそらく成人式以降か、前か、いずれにしても平成9年頃であろう。とすると、私の記憶の中には、その「ガンジス」は、かつて平成5年の時に、長渕が歌番組で歌っていたという記憶がある、当時堺正章だったかが司会をしている歌番組である。そして確かにその当時、長渕はまだ大麻で捕まる前だから、そのガンジスが発表された、つまりキャプテンオブザシップが出た平成5年頃のはずである。

 ところがそういう平成5年に出ていたような歌を、なぜその平成9年に良い歌だと言うのか。故に、私の記憶の中では、長渕の「ガンジス」は、平成5年の高校の時に発表されていた歌なのだが、その記憶が、平成9年辺りに入れ替わってしまっていたのだ。つまり実際には平成9年なのだが、それが平成5年に舞い戻ってしまっているということだ。

 

私の記憶の中にある「現実」との矛盾と不一致

 

 私の記憶の中に、其の教団の大学にあがることになったのが平成11年4月のことで、もちろんその大学にあがると、当時その飼っていた熱帯魚の「シルバーアロワナ」が、飼えなくなるため、同じく熱帯魚を飼っている知人にその魚を引き渡して、私は2年間のその専門学校及び大学へ入学している、と言うことなのだ。

 ところがここにおかしな矛盾があるのだ。まずそのシルバーアロワナであるが、このアロワナは体長20cmの時にアロワナの専門の店で買った。そしてその後、そのアロワナを飼育するための本格的な水槽として150cmの、奥行き、高さ50cmの水槽と言うのを私は買っている。

 しかし、私はその150cmの水槽をその大学にあがる前に、誰か、その知人の知り合いに売り渡しているのだ。

 つまりそのシルバーアロワナは私は50cmほどの大きさになるまで飼育していて、其の熱帯魚を其の大学へ行く前に知人に渡している。ということは、そのシルバーアロワナを、其の大学へ上がる前まで、その150cmの水槽で飼育していたということになる。

 そしてもしそうであれば、その150cmの水槽を売った目的が何であったか、また売ったい時期はいつだったか、150cm水槽を売ったのであれば、シルバーアロワナはその後、どうしたのか?という矛盾があるのだ。

 そしてその記憶が確かなのは、其の大学を卒業したのは平成13年3月だから、その後、再び地元に戻った時に、確かに当時そのシルバーアロワナを譲った相手から、私はその「シルバーもらったけど、死んでしまったわ」と言うことを直に聞いているからだ。

 

熱帯魚は初め ディスカスに没頭している

 

 私はその県外の神奈川から帰宅して実家に戻ってきた時に、当時地元にそのディスカスの専門的なショップができたということがあって、その知人と再び高校の時にしていた熱帯魚をやり出したのだ。

 その店は高校時代からいっていた店だが初めはちいさな店でマンションの一階一室にあった。この店がいつのことだったか、その本格的な専門店をオープンしたのだ。

 私がその150cmの水槽を購入したのは、その店がまだ大きくなってディスカスの専門的な店になる前のことである。

 と言うことは「シルバーアロワナ」はすでにその時期に購入していたことになるのだ。つまり、県外から戻っていた私は、初め、「ディスカス」ではなく、その「シルバーアロワナ」からはじめたのではなかったか、ということだ。

 ところが、その後、その店がディスカスの専門的な店として有名となり、そのシルバーアロワナを飼育しつつ、同時にディスカスも飼育していたということになるはずだ。

 

「アロワナを上に設置してディスカスを下段水槽に設置したら最高だ」

 

 私が県外の企業から戻ってきたのが平成7年10月、そしてその後しばらく旧家にいたが、実家に戻ってから其の熱帯魚を購入している。と言うことは私は、しばらくその旧家でドラゴンクエスト6などをしていたが、それをやり終えてクリアする時期になると、そのかつて熱帯魚を飼育していた知人、つまり高校の時から其の熱帯魚を飼育していた知人が再び私の家に現れて、熱帯魚をまたやろう、ということになったのだ。

 当時私は、その企業で稼いだ60万ほどの貯金があり、又その知人は当時は専門学校生だから当時の私ほどの現金は持っていなかった。そしてその知人は、その熱帯魚店の店のオーナーとその高校時代の私のことなどを話をしていたのだ。おそらく考えられるのは、一緒に飼っていたもう一人の人どうなった?みたいなことを。つまり高校の時その知人とよくその店に行ったが、おそらくその知人は、彼は熱帯魚をやめた、つまり県外の企業に行って寮生活になるから、熱帯魚を飼えないとやめてしまった、みたいなことを言っていた。するとその県外から戻ってきた時に、私は現金を蓄えていたし、そのお金を沢山持っているということをその店のオーナーとも話とかしていて、そしてその県外から戻ってきた時、その後の平成8年頃に、その知人と150cmの其の水槽をそこで買ったのだ。

 しかしシルバーアロワナは私はその店でなく別の店で買っている。と言うことはそのシルバーアロワナはまず平成8年くらいの購入して飼いだしているということだ。そしてそのシルバーアロワナが、私がその教団の大学へ上がると飼えなくなるということで、少なくともその大学へ上がることが決まった月以降、その知人に引き渡している。と言うことは少なくともその教団にあがる平成11年4月の前にはその知人に引き渡しているのだ。

 そして私は何よりもそのシルバーアロワナを気にいっていて、その知人に引き渡した後に、そのアロワナを一度も見ていないし、どうなったかは知るすべもなく、その後の大学から戻ってきた平成13年7月くらいに、その知人から飼育していたけど死んでしまったわ、という言葉を聞くまで私はそのアロワナを一度も見なかったのだから、確実にその大学にあがる直前くらいにその知人に渡しているのだ。

 つまり飼うのが飽きたとか観るのが飽きたという理由でその知人に渡しているのであれば、その知人も150cm水槽を私と同時期に購入しているから、その知人の部屋でそのアロワナを観たりしていても不思議でないからだ。従って大学へ上がり、県外に行く間際まで、そのシルバーは私の部屋にいたことになる。

 

 

150cm水槽は其の大学にあがるはるか以前に知人に売った記憶がある

 

 そして私の記憶では、其の大学へ上がったのが平成11年4月なのだが、その150cm野水槽をその知人の友人に売り渡していたのが、その大学にあがるはるか前のことで、つまり飼育しているシルバーアロワナが飼えなくなるとかいう理由うんうんでその知人に売った記憶がないのだ。

 つまり私がもし、その150cm水槽を売るとしたら、その教団の大学にあがる、行くためにそのアロワナが飼えなくなるので、同時にその水槽もその時に不要になるから、売る、ということが考えられるが、実際にはそういう経過はない。その大学にあがる以前に其の水槽を売っている。

 ということは150cm水槽で飼育しているそのシルバーアロワナはどうなったのか?と言うことがまったく一致しないのだ。

 つまり私の記憶では、其の大学にあがるまで、150cm水槽で、そのシルバーアロワナを飼育していて、其の大学にあがる直前にその知人にシルバーアロワナを渡した。であれば、それまで150cm水槽は家にあるはずだし、また150cm水槽自体売った記憶と言うか、其の大学にあがる直前まで私は実家で其の水槽でそのシルバーアロワナを飼育していたような記憶があるのだ。

 であれば、その150cm水槽と言うのは、いつ、私が売り渡したのか、ということになる。

 

その知人は私が大学から戻ってきた時には水槽を処分していた

 

 いずれにしても私は大学にあがる前にそのシルバーアロワナをその知人に預けて、以後、2年と半年ほど経過したのちに、その知人と再び会うと、その知人が言うのが、もらったシルバー死んでしまったということ、そして私がその大学にあがっていた頃に、他にアジアアロワナも飼育したが、すぐに死んでしまって、以降、熱帯魚をやめておそらくその知人が持っていた150cmの大型水槽も、その室内には当時すでになかったような気がするのだ。

 もちろん私が預けたシルバーアロワナもすでにいないわけだ。

 だが私の記憶では、以前その知人は、自分が買って購入していたシルバーアロワナの目が垂れたりして、また他の大型魚でガーを飼育していた。そのガーを私は実際に見ている。そしていつの頃か、そのとなりの金沢の熱帯魚店で、そのガーと販売されているシルバーアロワナを交換したと言って、私はそのまだ目も垂れていない40~50cmのシルバーアロワナをその知人の部屋で見ている。

 そのシルバーアロワナは私が飼育していたシルバーアロワナと同じほどの大きさのものだった。

 

それが大学卒業後の可能性もある

 

 その知人は飼っているシルバーが全然駄目で、ガーを一時期飼育していたのだ。そしてそのガーとシルバーアロワナの50cmほどのものを交換してきたと言っていた。普通50cmのシルバーアロワナがショップに販売されることは珍しいく、あまりないのことのだ。又その知人の言っていること自体もどこまでが本当かは定かでない。

 また、その知人が持っていた、つまり新たに購入、であるからその知人にしたら2度目のシルバーであろうが、それが50cmほどのある個体であるが、それを観たのが、実際には私がその大学から戻ってきた平成13年7月以降の可能性もあるのだ。

 いずれにしてもいつかの時期に、その知人は50cmほどのシルバーと、自分の飼育しているガーを、金沢の熱帯魚店で交換してきたと言ってた。

 ただここで疑問は、通常50cmに成長したシルバーアロワナは、普通あまり店に販売されていないということだ。